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実戦コラム

技術翻訳としての特許翻訳 第13回

第13回 電気化学的に卑な金属

 

ある英文特許を読んでいたところ、次のような表現が見つかった。

The material constituting the sacrificial layer is preferably a metal electrochemically less base than Cu.  Examples of such preferable metals include Cu-Zn alloy, Cu-Sn alloy, Cu-Mn alloy, Cu-Al alloy, Cu-Mg alloy, Fe metal, Zn metal, Co metal, Mo metal and oxides thereof, and a combination thereof, and particularly preferably a Cu-Zn alloy.

英文の太字の部分が理解できないので、対応する日本特許を当たったところ、次の通りであった。
「犠牲層を構成する材料はCuよりも電気化学的に卑な金属が好ましく、そのような好ましい金属の例としては、Cu-Zn合金、Cu-Sn合金、Cu-Mn合金、Cu-Al合金、Cu-Mg合金、Fe金属、Zn金属、Co金属、Mo金属及びこれらの酸化物、並びにこれらの組合せが挙げられ、特に好ましくはCu-Zn合金である。」

「電気化学的に卑な金属」という表現は特許明細書でも非常に少なく、しかも日本からの出願に限られている。言い換えれば、これは日本語固有の表現なので、翻訳に際しては技術的な意味を正しく理解する必要があることを意味している。上記の翻訳のbaseは「卑金属」をbase metalと呼ぶことから引き出されたものである。そこで、baseの意味を形容詞の「劣った(=卑)」と読みとった場合、less baseは日本語と逆に「卑でない」という全く逆の意味になってしまうことを翻訳者は気付いていない。原語の技術的意味を理解せずに、自分の知っている単語を組み合わせただけの翻訳がいかに危険であるかを示している。

以前なら、電気化学に関する書籍で調べないと分からないことが、今はGoogle検索で簡単に見つけることができる。「電気化学的に卑な金属」を検索すると、いくつかの関連ページが見つかるが、《YAHOO!知恵袋》に「卑」の意味を質問している人がいる(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1458380044)。回答は、次のように、非常に要を得ている。
「各種金属の標準電位の序列を,電気化学系列,俗にイオン化傾向と呼び,その序列の中で高い電位に位置するものを「貴」,低い電位に位置するものを「卑」な金属と呼びます。 電位の極性は、酸化方向(貴)をプラス、還元方向(卑)をマイナスとするように統一されています。(電気化学測定マニュアル基礎編より)」

さらに、《コトバンク》には「卑な金属」の説明として世界大百科事典の次の部分が引用されている
「元素の化学的性質の一つである水溶液中での標準電位系列(イオン化傾向序列の逆)で水素よりも高い電位にある金属を一般に貴な金属といい,金,銀,白金,水銀,銅などが含まれる。他の多くは卑な金属である。」
https://kotobank.jp/word/%E5%8D%91%E3%81%AA%E9%87%91%E5%B1%9E-1399762

以上から、「Cuよりも電気化学的に卑な金属」は「Cuよりも低い電位にある金属」と読み替えればよいことが分かる。この電位は正確には、「酸化還元電位(redox potential)」と呼ばれている。修正訳例は次の通りである。

The material for the sacrificial layer is preferably a metal having a redox potential less than that of Cu.  Examples of such preferable metals include Cu-Zn, Cu-Sn, Cu-Mn, Cu-Al, and Cu-Mg alloys; elemental Fe, Zn, Co, Mo and oxides thereof; and combinations thereof.  Cu-Zn alloys are particularly preferred.

 

以下に、同様の表現の実例を特許から拾ってきたので、試訳とともに示す。

【例1】 自己放電反応抑制剤に含まれる、上記カチオンは、鉄よりも電気化学的に卑な金属のカチオンである。そのため、上記カチオンは、電解液中で負極金属である鉄とは反応し難い。(特開2018-078084)

試訳:Cations in the self-discharge reaction inhibitor are cations of metal with a lower redox potential than that of iron.  These cations barely react with iron of the negative electrode in the electrolytic solution.

【例2】 前記エッチング処理においては、前記除去対象粒子が、水素よりも電気化学的に卑な金属を含有することが好ましい。そうすることで、エッチング液に溶解しやすく、除去が容易になる。そのような金属としては、例えば、Zn、Al、Fe、Ni、Co、Snなどが挙げられる。また、前記導電体は、水素よりも電気化学的に貴な金属を含有することが好ましい。そうすることにより、前記エッチング処理において、前記エッチング液に溶解しにくい。  そのような金属としては、例えば、Au、Ptなどが挙げられる。

試訳:Preferably the particles to be removed in the etching treatment contain metal with a redox potential lower than that of hydrogen.  The particles can be readily dissolved in the etching solution.  Examples of such metal include zinc, aluminum, iron, nickel, cobalt, and tin.  Preferably the conductor contains metal with a redox potential higher than that of hydrogen.  Such metals are barely dissolved in the etching solution.  Examples of the metal include gold and platinum.

例2で、「電気化学的に貴な金属」は「高い酸化還元電位にある金属」と読み替えられている。

【例3】 従来から、端子と電線の芯線とが互いに異なる材料で形成された端子付電線が知られている。概して、このような端子付電線の芯線はアルミニウム(電気化学的に卑な金属)で形成され、端子は銅(電気化学的に貴な金属)で形成される。(特開2018-014313)

試訳:Cables provided with cores and terminals are known.  Usually cores and terminals are composed of different materials.  The cores are made of aluminum, which is electrochemically base metal, and terminals are made of cupper, which is electrochemically noble metal.

例3で、「電気化学的に貴な金属」と「電気化学的に卑な金属」は通常の「貴金属」と「卑金属」の概念と同じ使い方をしている。従って英文も比較級で書く必要はない。

【例4】 しかしながら、アルミニウム芯線と銅端子とを電気的に接続する場合、この接続部分に雨水や洗車、結露などによって水等の電解液が付着すると、電解液を介してアルミニウム芯線と銅端子との間に電池回路が形成され、電気化学的に卑な金属であるアルミニウムが電解液中に溶出して腐食される現象(ガルバニック腐食)が生じる。(特開2017-220294)

試訳:If electrolyte, such as rain water, car washing water, or dew condensation water, adheres to the electric connection between the aluminum core and the copper terminal, a cell circuit formed between the aluminum core and the copper terminal through the electrolyte causes erosion of the electrochemically base metal aluminum into the electrolyte (referred to as galvanic corrosion).

下図は例4に出てくる、「ガルバニック腐食(電界腐食)」の模式図である。

https://aluminumsurface.blogspot.com/2009/04/corrosion-between-anodized-aluminum-and.html

2020122215924.jpgのサムネイル画像

ガルバニックはイタリアの物理学者Luigi Galvaniの名にちなんでいる。トタン板(亜鉛メッキ鉄板)をgalvanized plateと呼ぶのは、電池反応で亜鉛が腐食することで鉄の腐食を防ぐからである。検流計(galvanometer)も彼の名に由来する。彼は、死んだ蛙の筋肉が電気火花でけいれんすることを発見したので、galvanicには「けいれん的な」、「電気刺激の」という意味もある。実際の電池の発明は同じイタリア人のIl Conte Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Voltaである。電圧のボルト(volt)は彼の名にちなんでいる。

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