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実戦コラム

技術翻訳としての特許翻訳 第11回

第11回 米国特許訴訟の実例から技術の本質を学ぶ
 

訴訟社会における米国では、毎年1000件を超える特許侵害訴訟が連邦地方裁判所に提起され、このうち約100件が事実審理にかけられるといわれている。残りの案件は、様々な理由から却下されるか、和解に持ち込まれる。地裁の判決の相当数が連邦巡回控訴裁判所(United States Court of Appeals for the Federal Circuit = CAFC)に控訴される。CAFCは日本の知財高裁のような役割を果たす専門裁判所である。毎年、連邦巡回控訴裁判所は、地方裁判所からの100 件を超える控訴に決定を下す。CAFCで下された判決のうち、50%以上が最終的に特許権を有効とする、すなわち侵害を認定しているといわれている。この数値をどう読むかは意見の分かれるところだが、半数未満とはいえ相当数の権利が非侵害と認定されていることに注目すべきである。判決に持ち込まれた事例は、いずれもどちらに転んでも仕方のないようなきわどいケースが非常に多い。さらに、判決文を読んでも、なぜそのような判決に至ったのかが必ずしも明確でないものもある。

今回は、過去に話題となった事件の経緯を通じて、技術の本質を追究することにする。不明確な文章から技術の本質を探り出す技術は翻訳者にとって不可欠だからである。


《事件の経緯》

Chef Americaはパン生地製品の製法に関する米国特許4,761,290号 ('290 patent")を所有していた。Chef America(原告) はLamb-Weston, Inc.(被告)を特許侵害で訴えた。
争点となったクレームは下記の通りである。

1. A process for producing a dough product which is convertible upon finish cooking by baking or exposure to microwaves in the presence of a microwave susceptor into a cooked dough product having a light, flaky, crispy texture, which comprises the steps of:
     providing a dough;
     applying a layer of shortening flakes to at least one side of said dough;
     coating a light batter to a thickness in the range of about 0.001 inch to 0.125 inch over said at least one side of said dough to which said shortening flakes have been applied;
      heating the resulting batter-coated dough to a temperature in the range of about 400°F to 850°F for a period of time ranging from about 10 seconds to 5 minutes to first set said batter and then subsequently melt said shortening flakes, whereby air cells are formed in said batter and the surface of said dough; and
      cooling the resulting dough product.

このクレームの下線で示した部分、特に前置詞の"to" の部分が問題となった。そこで、この部分の日本語訳を示す。

その結果得られた衣塗布生地を約200から約450の範囲の温度10秒から約5分の範囲の時間加熱し、まず前記衣を固定し、次いで前記ショートニング顆粒を溶かす工程
(注:温度は、読者の便宜を図って摂氏に換算してある)

Lamb-Westonは、"heating" という限定が、オーブンの設定温度ではなくて、パン生地(the dough)の温度にかかっているので、自社製品はこの特許を侵害していないと主張した。Lamb-Westonの言い分によれば、パン生地をこの温度に加熱すると生地は黒焦げになるという。地裁は被告の言い分を認め非侵害の判決を下した。

原告のChef Americaは連邦巡回裁判所に控訴した。控訴審で原告(控訴人)は、上記クレームは"heating the resulting batter-coated dough at a temperature in the range of about 400°F to 850°F " と解釈されるべきであると主張した。すなわち、加熱要件は、熱が発生する場所(oven)に対して適用されるべきであって、加熱される物(dough)自体に適用されるべきではないというものである。

つまり、Chef America は、“to”が“at”を意味すると解釈されるべき点を争点とした。なぜなら、このように解釈しなければ、特許発明に係るプロセスは特許権者が意図する機能を果たさないからである。パン生地がクレームされた温度まで加熱されたと仮定したら、パン生地は燃えてしまうことになる。
 

これに対して連邦巡回裁判所は次のような判断を下した。実施可能となるようにするためであっても、有効性を維持するためであっても、裁判所はクレームを改訂してはならない。クレームが一つの構成のみに影響を受け易い場合、裁判所は、特許権者が規定したクレームに基づいてクレームを解釈しなければならない。本件の場合、クレームは、明らかにパン生地が規定温度まで加熱されることを必要としている。加熱対象が、パン生地ではなくて、熱が発生するオーブン内の空気であることを示唆する記載は皆無である。事実、クレームは、オーブンを文言していない。本件においてクレームの意味するところは明白である。特許権者は、クレーム補正において"at"ではなくて"to" を選択したが、この"to" が "at"を意味することをサポートするものは何もない。それゆえ、Lamb-Westonが本件特許を侵害していないとの地裁の判決を支持する。

つまり、この判決文には2つのことが含まれている。まず、権利侵害の裁判の席でクレームの文言を補正することはできないということと、"to"がオーブン温度を支持する記載がないのでパン生地の温度であると認定していることにある。

なお、明細書には次のような記述が見られる。

The baking step, which is the next step in the process, takes place in a suitable oven, preferably a convection oven in which heated air is circulated. Baking results first in setting the batter and then melting the shortening flakes. This sequence of steps can be accomplished by quickly heating to a temperature in the range of about 400 degrees F. to 850 degrees F. for a period of time ranging from about 10 seconds to 5 minutes depending upon the type of dough product being processed and the temperature at which the dough is introduced into the oven. Typically, the dough, when introduced into the oven, may be at a temperature within the range of about 65.degree. F. to 90.degree. F. depending on whether yeast raised dough, chemically leavened dough or unleavened dough is employed.

裁判所が問題にしたのはこのパラグラフにおける "at"と"to" の使い分けにある。オーブンに生地を導入するところでは"at"を使用しており、これはオーブンの温度という解釈で、"to" のところは生地の加熱温度と解釈した。「同じ用語には同じ意味」、「異なる用語には異なる意味」を徹底した解釈と言える。

なお、本判決に関しては、日本語のウェブページにも論評がある1)

ところで、このクレームにおいて、"to" が最初から "at"であったとしてもオーブン温度であると言い切れるかどうか疑義が残る、というのは、 "at"はdoughにかかっていてオーブンの温度を直接表現していないからである。判決も述べているように、クレームにはovenという語は一度も出ていないことが大問題でなのである。こういう場合は、at an oven temperatureと書くのが技術的に正しい書き方である。at an oven temperatureとすればまったく問題なかったし、to an oven temperatureであっても恐らく問題にならなかったと思われる。

しかし、技術的には、特許されたクレームのheating the resulting batter-coated dough to a temperature in the range of about 400°F to 850°F for a period of time ranging from about 10 seconds to 5 minutesは非論理的な表現である。生地かオーブンかのいずれであっても「約200℃から約450℃の範囲の温度10秒から5分間加熱する」は解釈に苦しむ表現である。次のように、技術的に正確な表現にすれば、この問題を解決することができる。

heating the resulting batter-coated dough in an oven maintained at a temperature in the range of about 400°F to 850°F for a period of time ranging from about 10 seconds to 5 minutes

この訳で、heatingはmaintainingあるいはkeepingでもよい。

私たちが、日常トースターやオーブンでパンを焼くときに、マニュアルに書かれている設定温度がどこの温度かを意識することはないのではなかろうか?そのような状態で、このようなクレームが起草され、発明者や代理人、さらには審査官も何ら疑問を持つことなく権利化されてしまったのが実情である。特許が成立して、権利者は意気揚々として、提訴したところ、有能な被告弁護士により、思いも掛けない強烈なカウンターパンチを食らって、無残にも敗訴となった。この事件は、権利行使に耐えるクレーム表現は何かを、技術の本質と絡めて思考する力が英文クレームの作成に不可欠であることを物語っている。翻訳者は、書かれている言葉を盲目的に信じるのではなく、そこに隠された技術の本質を知ることが重要である。
 

=参考文献=

  1. 「特許英語の難しさ・怖さ-“たかが前置詞、されど前置詞”」(木村進一)
      http://skimura21.exblog.jp/8316586

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