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実戦コラム

技術翻訳としての特許翻訳 第9回

第9回 確立されていない技術用語の翻訳

特許は最新の技術を権利化するための書面であるから、技術用語も未だ辞書に登録されていないものがよく使用される。最新の技術ではなくとも、特殊な技術用語の訳語を決める作業は骨の折れることが多い。

ケース1-scalemic

英文例:Optionally, the biodegradable biocompatible polyal conjugates of the present invention can be scalemic.

目にした訳例:任意で本発明の生分解性生体適合性ポリアール複合体はスケールミック(scalemic)であってもよい。

 この例題に出てくる、scalemicは新しい語で、「英辞郎」、「LIFE SCIENCE DICTIONARY」、「Wikipedia」のいずれにも未だ登録されていない。このような場合に、翻訳者がなすべきことは、まずscalemicの持つ技術的意味を理解することである。読者もよく承知していることだが、このような場合にGoogle検索が有効である。

 直接"scalemic"で検索すると、Wiktionaryにこの語がnonracemicの意味を持つとの記載を見いだすことができる。Racemicは光学異性体(鏡像異性体)の1:1混合物を意味するので、nonracemicはそれ以外の比率の混合物であることが推測される。

 さらに、http://www.ochempal.org/index.php/alphabetical/s-t/scalemic-mixture/ (Utah Valley UniversityのGamini Gunawardena教授の編集した有機化学に関する用語集)には、次のような詳細な説明が見られる。

Scalemic mixture is a mixture of enantiomers at a ratio other than 1:1. (スケールミック混合物は1:1以外の比の鏡像異性体を含む混合物である。)

eg:  Lactic acid exists as a pair of enantiomers, (R)-lactic acid and (S)-lactic acid.(乳酸は、一対の鏡像異性体、すなわち(R)-乳酸と(S)-乳酸として存在する。)

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A mixture of (R)-lactic acid and (S)-lactic acid at, say, 2:3 ratio is a scalemic mixture of lactic acid.(たとえば(R)-乳酸と(S)-乳酸の2:3混合物は乳酸のスケールミック混合物である。)

 ちなみに、構造式から明らかなように、乳酸は中心炭素に4つの異なる基が結合しているが、この組み合わせは、光学異性体を発生させる最小単位である。言い換えれば、他の光学異性体はすべてこれより複雑な構造を持っている。

 念のため、「スケールミック」で検索すると、次のような公表公報の記述を見つけることができる。

かくして、本発明は、等しく、全ての光学異性体及びそれらのラセミ混合物又はスケールミック混合物(用語「スケールミック(scalemic)」は、異なった比率のエナンチオマーの混合物を意味する)、並びに、可能な全ての立体異性体の全ての比率における混合物に関する。(特表2015-517480)

 この基礎となった国際特許出願明細書の記載は次の通りである。

The invention thus relates equally to all the optical isomers and to their racemic or scalemic mixtures (the term "scalemic" denotes a mixture of enantiomers in different proportions) and to the mixtures of all the possible stereoisomers, in all proportions. (WO2013/167551)

 これで、scalemicの意味は理解できるので、そのことを翻訳文にどのように織り込むかがキイポイントとなる。その前に、英文例中の"polyal"も見慣れない語である。これを英辞郎で直接検索すると"polyol"と"polyal"の識別ができていない結果が多く表示されるので注意が必要である。語尾のalはアルデヒドを指している。典型的な例がetanal(エタナール)でこれはacetoaldehyde(アセトアルデヒド)のIUPAC名称である。従って、この部分の読解には化合物命名法の基礎を知っておく必要がある。次の英文はその理解を助ける。

Polyaldehyde (polyal) dendrimers were synthesized by a divergent iterative method using 1,3,5-triethynylbenzene (1) as the core unit and 2-bromo-5-tert-butyl-1,3-benzenedicarbaldehyde (2) as the building block. (ポリアルデヒド(ポリアール)は1,3,5-トリエチニルベンゼン(1)を中心単位とし、2-ブロモ-5-tert-ブチル-1,3-ベンゼンジカルバルデヒド(2)を樹枝構成分として用いる分岐反復法によって合成された。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ejoc.200500055/abstract

 以上をふまえて、修正訳例を次に示す。

修正訳例:必要なら本発明の生分解性生体適合性ポリアール(アルデヒド重合体)複合体はスケールミック混合物(scalemic=異なる比率のエナンチオマーの混合物)であってもよい。

 このように、未だ定着していない用語や比較的新しい用語は必ず意味を添えた翻訳にすることで、すべての読者の理解を助けるし、翻訳者自身も新しい技術を確実に自分のものにすることができる。

 

ケース2-「エバネッセント光」と「しみ出し深さ」

和文例:凹部41aの底部と透光性電極22の表面との距離Dはエバネッセント光Leのしみ出し深さd以下である。(左下図参照)

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この和文を翻訳する前に、「エバネッセント光」を理解し、次に「しみ出し深さ」を理解する必要がある。「しみ出し深さ」に対応する英語を辞書から探し出すのは容易ではないからである。

 「エバネッセント光」をGoogle検索すると、たとえば公益社団法人精密工学会のページに、「エバネッセント光( evanescent light)は,全反射条件(total internal reflection condition)下において,低屈折率媒質側にしみ出る特殊な光である.一般的な光のように自由空間を伝搬することはなく,全反射界面から波長程度の領域に局在する特性を有する.(右上図参照)」とある。これで、「エバネッセント光」の発生原理と意味は理解できる。問題は「しみ出る」という語の英語を見つけ出すことである。こういう特殊な語は普通の辞書には載っていないので、"evanescent"に関する英文ページから適切な語を見いだす工夫が必要となる。Wikipediaの「エバネッセント場」の項には、「屈折率の高い媒質から低い媒質に電磁波が入射する場合、入射角をある臨界角以上にすると電磁波は全反射するが、その際には波数の(境界面に対する)垂直成分が虚数になっている為に1波長程度まで低媒質側の内部に電磁波が浸透することになる。」との記載がある。この「浸透する」は「しみ出る」と同義のようなので、後は「浸透する」に対応する英語で検証すればよい。Google検索の結果は次の通りである。

evanescent penetration    228,000件

evanescent permeation     828,000件

evanescent infiltration     702,000件(ただしノイズが多い)

evanescent interfusion     314,000件

 これらの結果から、penetration, permeation, interfusionなどが使用されていることが分かる。結論に至る前に、ヒットしたページの記述をきちんと読んで検証しなければならないことは言うまでもない。たとえば、下記ウェブページにはpenetration depth(浸透深さ)について丁寧な説明が見られる。

https://www.olympus-lifescience.com/en/microscope-resource/primer/java/tirf/penetration/

 以上をふまえた訳例は次の通りである。

訳例:The distance D between the bottom of the dent 41a and the surface of transparent electrode 22 is not more than the penetration depth d of the evanescent light Le.

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