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2020年8月

技術翻訳としての特許翻訳 第10回

第10回 技術を意識した翻訳

 私の仕事は主に他の人の行った特許翻訳をチェックすることである。チェックをしていて非常に気になることは、原語の技術的意味を理解せずにただ字面で目的語に訳す翻訳が多いということである。以下に、「レーザーアブレーション」に関する特許の原文(日本語)と対応する英文を示し、問題点とその改善策について説明する。

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【例1】:容器11は上面が開口された、断面が略矩形の容器である。容器11の開口部には平板状の蓋体12が

装着される。容器11の上端面と蓋体12の周縁部との間には、リング状パッキン(図示省略)が介装されており、
両者を密着できる構造になっている。

《目にした訳例》:The vessel 11 has an opening portion at an upper surface thereof, and has an approximately rectangular-shape in section. The opening portion of the vessel 11 is equipped with the plate-shaped cover
body (lid) 12. A ring-shaped packing (illustration abbreviation) is interposed between the upper end surface
of the vessel 11 and the peripheral portion of the cover body 12, thereby to form a structure in which both the
cover body 12 and the vessel 11 are closely contact to each other. (82 words)

 

 この訳例は非常にまずいが、その原因は日本語の不正確さにある。まず第1文で、「上面が開口された」とあるが、図から明らかなように、容器には上面自体が存在しない。「上部(または頂部)が開口された」とすべきである。容器は、底部、側部、および上部(頂部)で構成されるが、この例のように「上部」の存在しないものもある。存在しない上部に、上面はあり得ないので、訳例の表現"an opening portion at an upper surface thereof"は意味不明である。 従って、読者はこの図でupper surfaceの位置を特定することができない。間違った日本語がそのまま訳されているので、結果的に意味が通じないことになる。第2文は意味が通じるがthe plate-shaped cover body (lid) 12が冗長の極みである。単に"a flat lid 12"でよい。第3文も非常に冗長である。日本語のすべての単語を逐一訳していることが原因である。全体として、単語を拾って並べただけの翻訳で、読者に何を訴えたいかがこの英文から伝わってこない。 

 筆者はこの事例を目にしたときに、容器の上面図が見たくなったが、残念ながらこの特許には上面図が掲載されていない。「リング状パッキン」と言う表現は、この容器は箱形ではなく円筒形であることを示唆しているので、それを確かめたかったからである。以上を踏まえて、修正訳例を下に示す。

《日本語の書き換え》:(円筒形の)容器11は実質的に矩形の断面を持っており、その上部は開口されている。容器11は平板状の蓋12で覆われている。容器11の上端面と蓋12の周縁部との間には、リング状パッキン(図示省略)が配置されており、両者を密着している。

《修正訳例》:The (cylindrical) vessel 11 has a substantially rectangular cross-section and its top is open.  The vessel 11 is covered with a flat lid 12.  An annular sealant (not shown in the drawing) is disposed between the top end of the vessel 11 and periphery of the lid 12.  The vessel 11 can thereby be in tight contact with the lid 12. (60/61 words)

 

【例2】:容器11内には液体31が貯留され、液体31中にはターゲット32が浸漬されている。容器11及び蓋体12の材質等は特に制限されず、ポリプロピレン等の合成樹脂製で構成できるし、ガラス製でも良い。

《目にした訳例》:The liquid 31 is stored in the vessel 11 and the target is immersed into the liquid 31. A material for constituting the vessel 11 and the cover body 12 is not particularly limited. However, a synthetic resin such as polypropylene or the like can be used. Further, glass may also be sufficiently used as the material.
(57 words)

 この例では、第1文の主語と動詞の選定が間違っている。古い情報を主語にするという原則からはvessel 11を主語にすべきである。日本語の「貯留」は「貯めること」を意味するが、この技術では水を「貯める」のではなく「水が入っている」のである。日本語の2文目が英語では3文に分けられているが、必然性がない。最後の文の "sufficiently used" は何が言いたいのか全く伝わってこない。successfullyにすれば意味は通じるが、この文自体独立させる意義がない。

《日本語の書き換え》:容器11の底にはターゲット32が置かれ、液体31が入っている。容器11及び蓋体12は任意の材料、例えば、ポリプロピレンのような合成樹脂あるいはガラスでできている。

《修正訳例》:The vessel 11 contains a target 32 on the bottom and is filled with liquid 31.  The vessel 11 and the lid 12 may be made of any material, for example, a synthetic resin, such as polypropylene, or glass. (39 words)

 

【例3】:集光レンズ31によって集束されたレーザー光Lは、ほぼその焦点位置で液体31中のターゲット32の表面に照射されるように構成している。

《目にした訳例》:The laser light L which is focused by the focusing lens 23 is configured so as to be irradiated to a surface of the target 32 arranged in the liquid 31 at almost a focal point position of the laser light L. (42 words)

 ここも、日本語のくどさがそのまま英語に置き換えられているが、irradiatedの主語がlightになっているという致命的な間違いを犯している。The target is irradiated with the laser lightは正しいが、The laser light is irradiated to the targetは誤用である。この翻訳者は基本的なことが理解できていない。

《日本語の書き換え》:レーザー光Lは集光レンズ31によって液体31中のターゲット32の表面に実質的に集光させる。

《修正訳例》:The laser light L is substantially focused by a collective lens 23 onto a surface of the target 32 in the liquid 31. (23 words)

 

【例4】:なお、図1に示す液相レーザーアブレーション装置では、ターゲット32を容器11の底面に水平に配置しているが、照射されたレーザー光Lがターゲット32の平面に対して略垂直に照射されるように、ターゲット32を傾斜させて配置しても良い。

《目にした訳例》:In this connection, in the liquid phase laser ablation apparatus shown in FIG. 1, although the target 32 is horizontally positioned on a bottom surface of the vessel 11, the target 32 may also be obliquely arranged so that the irradiated laser light L is perpendicularly irradiated to a plane surface of the target 32 from an almost vertical direction with respect to the plane surface of the target 32. (70 words)

 文頭の「なお」がin this connectionと訳されているが、特に意味を持つ語でないので訳す必要はない。Although構文を使用しているが、独立した文にする方が読みやすい。日本語は「水平に配置」、「傾斜させて配置」となっており、英文でもpositionやarrangeが使用されているが、これらの語を使用しない表現の工夫が求められる。

《日本語の書き換え》:図1に示す液相レーザーアブレーション装置では、ターゲット32を容器11の底面に水平に配置しているが、レーザー光Lがターゲット32の面に対して実質的に垂直にあたるように、ターゲット32を傾斜させてもよい。

《修正訳例》:In the liquid-phase laser ablation device shown in FIG. 1, the target 32 lies on a bottom face of the vessel 11.  Alternatively, the target 32 may be tilted such that the laser light L substantially perpendiculaly impinges on the surface of the target 32. (45 words)
 

 以上のように、技術内容を正しく理解すると正確・簡潔・明瞭な英文に仕上げることができる。

 ここで、光の進行に関する基本的表現をまとめておく。

The light is incident on a medium.(光は媒体に入射する)
The light impinges on a mirror. (光は鏡に当たる)
The light travels/propagates/passes through the midium(光は媒体中を進む)
The light exits the slab. (光は薄板から出る/出射する)
Glass transmits light. (ガラスは光を通す)

光に関する技術翻訳では、これらの基本的表現が欠かせない。

技術翻訳としての特許翻訳 第9回

第9回 確立されていない技術用語の翻訳

特許は最新の技術を権利化するための書面であるから、技術用語も未だ辞書に登録されていないものがよく使用される。最新の技術ではなくとも、特殊な技術用語の訳語を決める作業は骨の折れることが多い。

ケース1-scalemic

英文例:Optionally, the biodegradable biocompatible polyal conjugates of the present invention can be scalemic.

目にした訳例:任意で本発明の生分解性生体適合性ポリアール複合体はスケールミック(scalemic)であってもよい。

 この例題に出てくる、scalemicは新しい語で、「英辞郎」、「LIFE SCIENCE DICTIONARY」、「Wikipedia」のいずれにも未だ登録されていない。このような場合に、翻訳者がなすべきことは、まずscalemicの持つ技術的意味を理解することである。読者もよく承知していることだが、このような場合にGoogle検索が有効である。

 直接"scalemic"で検索すると、Wiktionaryにこの語がnonracemicの意味を持つとの記載を見いだすことができる。Racemicは光学異性体(鏡像異性体)の1:1混合物を意味するので、nonracemicはそれ以外の比率の混合物であることが推測される。

 さらに、http://www.ochempal.org/index.php/alphabetical/s-t/scalemic-mixture/ (Utah Valley UniversityのGamini Gunawardena教授の編集した有機化学に関する用語集)には、次のような詳細な説明が見られる。

Scalemic mixture is a mixture of enantiomers at a ratio other than 1:1. (スケールミック混合物は1:1以外の比の鏡像異性体を含む混合物である。)

eg:  Lactic acid exists as a pair of enantiomers, (R)-lactic acid and (S)-lactic acid.(乳酸は、一対の鏡像異性体、すなわち(R)-乳酸と(S)-乳酸として存在する。)

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A mixture of (R)-lactic acid and (S)-lactic acid at, say, 2:3 ratio is a scalemic mixture of lactic acid.(たとえば(R)-乳酸と(S)-乳酸の2:3混合物は乳酸のスケールミック混合物である。)

 ちなみに、構造式から明らかなように、乳酸は中心炭素に4つの異なる基が結合しているが、この組み合わせは、光学異性体を発生させる最小単位である。言い換えれば、他の光学異性体はすべてこれより複雑な構造を持っている。

 念のため、「スケールミック」で検索すると、次のような公表公報の記述を見つけることができる。

かくして、本発明は、等しく、全ての光学異性体及びそれらのラセミ混合物又はスケールミック混合物(用語「スケールミック(scalemic)」は、異なった比率のエナンチオマーの混合物を意味する)、並びに、可能な全ての立体異性体の全ての比率における混合物に関する。(特表2015-517480)

 この基礎となった国際特許出願明細書の記載は次の通りである。

The invention thus relates equally to all the optical isomers and to their racemic or scalemic mixtures (the term "scalemic" denotes a mixture of enantiomers in different proportions) and to the mixtures of all the possible stereoisomers, in all proportions. (WO2013/167551)

 これで、scalemicの意味は理解できるので、そのことを翻訳文にどのように織り込むかがキイポイントとなる。その前に、英文例中の"polyal"も見慣れない語である。これを英辞郎で直接検索すると"polyol"と"polyal"の識別ができていない結果が多く表示されるので注意が必要である。語尾のalはアルデヒドを指している。典型的な例がetanal(エタナール)でこれはacetoaldehyde(アセトアルデヒド)のIUPAC名称である。従って、この部分の読解には化合物命名法の基礎を知っておく必要がある。次の英文はその理解を助ける。

Polyaldehyde (polyal) dendrimers were synthesized by a divergent iterative method using 1,3,5-triethynylbenzene (1) as the core unit and 2-bromo-5-tert-butyl-1,3-benzenedicarbaldehyde (2) as the building block. (ポリアルデヒド(ポリアール)は1,3,5-トリエチニルベンゼン(1)を中心単位とし、2-ブロモ-5-tert-ブチル-1,3-ベンゼンジカルバルデヒド(2)を樹枝構成分として用いる分岐反復法によって合成された。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ejoc.200500055/abstract

 以上をふまえて、修正訳例を次に示す。

修正訳例:必要なら本発明の生分解性生体適合性ポリアール(アルデヒド重合体)複合体はスケールミック混合物(scalemic=異なる比率のエナンチオマーの混合物)であってもよい。

 このように、未だ定着していない用語や比較的新しい用語は必ず意味を添えた翻訳にすることで、すべての読者の理解を助けるし、翻訳者自身も新しい技術を確実に自分のものにすることができる。

 

ケース2-「エバネッセント光」と「しみ出し深さ」

和文例:凹部41aの底部と透光性電極22の表面との距離Dはエバネッセント光Leのしみ出し深さd以下である。(左下図参照)

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この和文を翻訳する前に、「エバネッセント光」を理解し、次に「しみ出し深さ」を理解する必要がある。「しみ出し深さ」に対応する英語を辞書から探し出すのは容易ではないからである。

 「エバネッセント光」をGoogle検索すると、たとえば公益社団法人精密工学会のページに、「エバネッセント光( evanescent light)は,全反射条件(total internal reflection condition)下において,低屈折率媒質側にしみ出る特殊な光である.一般的な光のように自由空間を伝搬することはなく,全反射界面から波長程度の領域に局在する特性を有する.(右上図参照)」とある。これで、「エバネッセント光」の発生原理と意味は理解できる。問題は「しみ出る」という語の英語を見つけ出すことである。こういう特殊な語は普通の辞書には載っていないので、"evanescent"に関する英文ページから適切な語を見いだす工夫が必要となる。Wikipediaの「エバネッセント場」の項には、「屈折率の高い媒質から低い媒質に電磁波が入射する場合、入射角をある臨界角以上にすると電磁波は全反射するが、その際には波数の(境界面に対する)垂直成分が虚数になっている為に1波長程度まで低媒質側の内部に電磁波が浸透することになる。」との記載がある。この「浸透する」は「しみ出る」と同義のようなので、後は「浸透する」に対応する英語で検証すればよい。Google検索の結果は次の通りである。

evanescent penetration    228,000件

evanescent permeation     828,000件

evanescent infiltration     702,000件(ただしノイズが多い)

evanescent interfusion     314,000件

 これらの結果から、penetration, permeation, interfusionなどが使用されていることが分かる。結論に至る前に、ヒットしたページの記述をきちんと読んで検証しなければならないことは言うまでもない。たとえば、下記ウェブページにはpenetration depth(浸透深さ)について丁寧な説明が見られる。

https://www.olympus-lifescience.com/en/microscope-resource/primer/java/tirf/penetration/

 以上をふまえた訳例は次の通りである。

訳例:The distance D between the bottom of the dent 41a and the surface of transparent electrode 22 is not more than the penetration depth d of the evanescent light Le.

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