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特許翻訳トランスプライムコラム

技術翻訳としての特許翻訳 第7回

第7回 技術の理解と法律的観点

 今回は、化合物半導体特許のクレームの翻訳について、技術的見地と法律的観点の両方から考察する。

 その前に、化合物半導体(compound semiconductor)について簡単に説明する。化合物半導体は2つ以上の原子が弱い静電引力で結合したものである。典型的な化合物半導体は、周期律表のIII族とV族の組み合わせ(GaAs、GaP、InP等)である。ほかにもII族とVI族の組み合わせ(CdTe、ZnSe等)や、IV族同士の組み合わせ(SiC)があり、それぞれ異なった機能を発揮する。

 III族とV族の組み合わせの代表的な化合物半導体のうち、窒化物半導体は窒化アルミニウム(AlN)、窒化ガリウム(GaN)、および窒化インジウム(InN)である。ただし、窒化アルミニウムは実際には絶縁体だが、このカテゴリーに含まれている。リン化物半導体には、リン化インジウム(InP)やリン化ガリウム(GaP)がある。ヒ化半導体には、ヒ化ガリウム(GaAs)のような2元素系とヒ化アルミニウムガリウム(AlGaAs)のような3元素系のものがある。

 化合物半導体の日英翻訳で注意すべきことがある。例えば、「ヒ化ガリウム」は、日本語では「ガリウムヒ素半導体」と化合物名ではなく、単に元素名を並べただけの表記がまかり通っていることである。化学の分野ではGaAsはgallium arsenideという化合物名を持っているが、元素名をそのまま訳すとgallium arsenicになってしまい、これでは化合物にならない。「リン化インジウム」も「インジウム燐」などの表記が見られるが、これは正しくないのでindium phosphide(phosphorusではない)と、きちんと訳さないといけない。

 今回は、III族とⅤ族の組み合わせに関する化合物半導体特許のクレームの翻訳を試みる。

【請求項1】 互いに導電型の異なるIII-V族窒化物半導体(InXAlYGa1-X-YN、0≦X、0≦Y、X+Y≦1)が積層されて発光層を備えるIII-V族窒化物半導体発光素子において、前記発光層を構成するIII-V族窒化物半導体層よりもバンドギャップの小さい層が、発光層ではない層に少なくとも一層以上形成されていることを特徴とするIII-V族窒化物半導体発光素子。

【請求項2】 前記発光層がインジウムを含むIII-V窒化物半導体よりなることを特徴とする請求項1に記載の発光素子。

【請求項3】 前記発光層よりもバンドギャップの小さい層に電極が形成されていることを特徴とする請求項1または請求項2に記載の発光素子。

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【符号の説明】

1・・基板、2・・nコンタクト層、3・・nクラッド層、4・・活性層、5・・pクラッド層、6・・pコンタクト層、88、88’・・小バンドギャップ層

 各層の材料についての明細書の記述をまとめると下記のようになる。

材料

基板

サファイア他【0012】

n型コンタクト層2

n型クラッド層3

Si、Ge、Sn等のn型ドーパントを含むInX AlY Ga1-X-Y N(0≦X、0≦Y、X+Y≦1)。好適例はGaN、GaAlN【0013】【0014】

活性層4(発光層)

インジウムを含むIII-V窒化物半導体。より好適には前記n型ドーパントおよび/またはZn、Mg等のII族元素であるp型ドーパントを含んで低抵抗にしたInX AlY Ga1-X-Y N(0<X、0≦Y、X+Y≦1)【0015】

p型クラッド層5

p型コンタクト層6

Zn、Mg等のp型ドーパントを含むInXAlY Ga1-X-Y N(0≦X、0≦Y、X+Y≦1)。好適例はMgをドープしたGaN、またはGaAlN【0016】

小バンドギャップ層 
 88、88’

活性層4よりもバンドギャップの小さいInXAlYGa1-X-YN層。活性層よりもインジウム含有率(X)を高くすることで達成できる。【0018】

 

 翻訳に先立って、請求項1で理解すべきことはつぎのとおりである。

(1)    この化合物半導体のV族元素が窒素に限られていることである。一方III族元素は、インジウム、アルミニウム、および/またはガリウムで構成されている。このうちガリウムは必須成分である。言い換えれば、GaN半導体に、第3成分と場合によっては第4成分が入り得ることを表している。

(2)    「発光層」の定義を明細書と図面から読みとる必要がある。図面のnコンタクト層2からpコンタクト層6までの5層で発光層が構成されていることが理解できるまで明細書を丁寧に読む必要がある。ただし、この明細書では「発光層」は実は二重定義になっている。請求項1を読む限り、発光層は積層体であるから5層であると理解しないとつじつまが合わないが、段落【0015】では発光層があたかも活性層4であるかのような書き方になっている。しかし、【0013】から【0018】までの記述を見ると、すべての層がインジウム(In)を含むことが好ましいことが記載されているので、発光層は活性層に限定すべきでないと判断すべきである。

(3)    「互いに導電型の異なる」は、III族元素の割合が異なると導電型も異なることを意味している。

(4)    「バンドギャップの小さい層が、発光層ではない層に少なくとも一層以上形成されている」の意味を正確に把握する必要がある。ここが本発明のポイントなので、技術的理解と同時に法律的にどうカバーするか表現に工夫を要するところである。逆に言えば、この部分をうまく表現できれば、残りの部分は何とかなる。図面を見ると小バンドギャップ層88、88’と2つあるが、明細書の記述によれば88’が必須で88は必須ではない。

(5)    物の発明なので、「積層されて」や「形成されて」などの流し書き表現を無視して、純粋に構造的な記述に修正して翻訳する。

(6)    【請求項3】における「バンドギャップの小さい層に電極が形成されている」が言葉足らずである。図面を見るとp電極のことで有ることが明らかなので、「p電極」と補強して訳す必要がある。

 以上の考察を踏まえて、訳例を以下に示す。

1.   A group III-V nitride semiconductor light-emitting device comprising:
      a luminous layer comprising a stack of semiconductor layers (InXAlYGa1-X-YN、0≦X、0≦Y、X+Y≦1) having different conductivity types;
      one or more small-band-gap layers outside the luminous layer, the small-band-gap layer having a band gap smaller than the band gaps of the semiconductor layers.

2.   The group III-V nitride semiconductor light-emitting device of claim 1, where the luminous layer comprises group III-V semiconductors containing indium.

3.   The group III-V nitride semiconductor light-emitting device of claim 1 or 2, further comprising a positive electrode on one of the small-band-gap layers.

 上記の訳で「少なくとも一層以上」をat least oneではなく、one or moreとしたのは、請求項3では一層のみの記述になっているので、整合性を取るためである。仮に、請求項1でat least one small-band-gap layerとすると、請求項3ではa positive electrode on the at least one small-band-gap layerとなり、論理的につじつまが合わないし、a positive electrode on one of the at least one small-band-gap layerも奇妙である。

 実は、日本語の「少なくとも一つ」や英文のat least oneは、実際は複数あるのが一般的だが、単数のケースも担保するという場合に使用されている。ネイティブライターの英文でも、at least oneの単複の取り扱いに苦慮しているケースがよく見られる。数の概念の厳密な英語の問題点の一つである。

 いずれにしても、日本語の字句をそのまま訳すのではなく、技術的意味をよく理解し、法律的な観点も考慮して最適な英文にする技術が求められる。

技術翻訳としての特許翻訳 第6回

第6回 技術用語の選択

電池には()と表示された極と()と表示された極の2つの電極があることは誰でも知っている。前者を「陽極」、後者を「陰極」と呼び、対応する英語はそれぞれcathodeとanodeである。一方、電気分解では「陽極」をanodeと呼び、「陰極」をcathodeと呼ぶ。つまり、電池と電気分解では「陽極」と「陰極」に対する英語が逆になっている。この原因は,英語と日本語の極の定義が異なっていることにある。

英語では、電池と電気分解のどちらも電極から電解質に正電荷が移動する電極、すなわち電解質から電子(e-)が流入する電極をanode(アノード)と呼び、電解質から電極に向かって正電荷が移動する電極、すなわち電解質に向かって電子(e-)が放出される電極をcathode(カソード)と呼ぶ。このメカニズムは下記URLに図説されている。

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http://chemistry.stackexchange.com/questions/16785/positive-or-negative-anode-cathode-in-electrolytic-galvanic-cell

前掲の図において、(+)は電位の高い方の極、(-)は電位の低い方の極を意味する。左側の電池(galvanic cell)ではcathodeの電位が高いが、右側の電気分解ではanodeの電位が高い。この違いは、電池は自らエネルギーを発生し、電子の流れ(電流の逆)を作り出しているが、電気分解は外からエネルギーの供給を受けて電子の流れ(電流の逆)を作り出していることにある。

日本語では、電位の高い方の極を陽極、電位の低い方を陰極と定義したために、電池と電気分解では同じcathodeとanodeに対して全く逆の日本語が対応することになってしまった。従って、電気化学(電気分解・電池など)に関する翻訳の際にはこのことをよく理解しておかないと致命的な間違いを犯すことになるので、細心の注意が必要である。なお、電池では、電位の高い側を「正極」(positive electrode)、低い側を「負極」(negative electrode)と呼ぶ別の定義もある。この呼び方は、一次電池の電位を基準にする定義である。従って、一次電池では、「陽極」=「正極」、「陰極」=「負極」が成り立つ。

ところが、二次電池の普及に伴って、新たな問題が発生した。二次電池は古くは自動車の鉛蓄電池から最近のリチウムイオン電池まで多くの産業分野で利用されているが、下図に示すとおり、充電時(charge mode)と放電時(discharge mode)では電流(電子)の流れは全く逆である。充電時(左図)には電子はanionの形でanode(陰極:-で示す)から電解質(electrolyte)に放出されるが、放電時(右図)には、電子はcathode(陽極:+で示す)から電解質に放出されている。つまり、充電時には、cathodeとanodeは本来の定義とは逆の働きをしていることになる。

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http://taufiqaccu.blogspot.jp/

電位に関しても、充電時はanodeの方がcathodeより電位が高いが、充電時は逆にcathodeの方がanodeより電位が高くなる。従って、放電時の「陽極」あるいは「正極」は、本当なら充電時は「陰極」あるいは「負極」になるはずだが、そうすると同じ電池で、放電時と充電時で電極の名称を変えないといけなくなる。この混乱を避けるため、実際には(+)の記号のある極を「正極」、(-)の記号のある極を「負極」と呼んでいる。つまり、「正極」と「負極」は使用時を基準に決められていて、本来の定義とは異なるが、この方が実際的である。

 

次の例はリチウム二次電池の特許請求の範囲とそれに対応する英訳文である。

例1.  リチウムイオンを吸蔵放出する正極と、リチウムイオンを吸蔵放出する負極と、が電解質とセパレータを介して形成されるリチウムイオン二次電池において、
 前記正極が、正極活物質を有し、
 前記負極が、負極活物質と、バインダーと、を有し、
 前記負極活物質が、少なくとも炭素材料を含み、
 前記バインダーが、スチレンブタジエン共重合体ラテックスと、セルロース系増粘材とからなり、前記炭素材料の黒鉛層間距離d002が0.345nm以上0.370nm以下であって、真密度ρが1.7g/cc以上2.1g/cc以下であって、前記正極に含まれる単位面積あたりの前記負極活物質量に対する前記正極に含まれる単位面積あたりの前記正極活物質量の重量比が、1.3以上1.7以下であることを特徴とするリチウムイオン二次電池。

対応する英文:    A lithium ion secondary battery in which a cathode for intercalating and deintercalating lithium ions, and an anode for intercalating and deintercalating lithium ions are formed by way of an electrolyte and a separator, the cathode having a cathode active material, the anode having an anode active material and a binder, the anode active material containing at least a carbon material, wherein the binder comprises a styrene-butadiene copolymer rubber latex and a cellulosic viscosity improver, the carbon material has an inter layer distance d002 of 0.345 nm or more and 0.370 nm or less and an intrinsic viscosity ρ of 1.7 g/cc or more and 2.1 g/cc or less, and the weight ratio for the amount of the cathode active material per unit area contained in the cathode to the amount of the anode active material per unit area contained in the anode is 1.3 or more and 1.7 or less.

日本語の下線を施した「正極」は負極の誤りである。英文は誤りのまま翻訳されている。さらに、英文のcathodeはpositive electrodeに、anodeはnegative electrodeにすべきであり、さらに下線で示した部分に誤訳あるいは不適格な訳が含まれている。致命的なのは「真密度」を「固有粘度」と読み違えていることである。以下に修正訳を示す。

修正訳例:A lithium ion secondary battery comprising:
              a positive electrode for intercalating and deintercalating lithium ions, the positive electrode comprising a positive electrode active material;
              a negative electrode for intercalating and deintercalating lithium ions, the positive electrode and the negative electrode being separated by an electrolyte and a separator, the negative electrode comprising an negative-electrode active material and a binder, the negative-electrode active material comprising at least a carbonaceous material, the binder comprising a styrene-butadiene copolymer latex and a cellulosic thickener,
              wherein the carbonaceous material has an interlayer distance d002 in a range of 0.345 nm to 0.370 nm and a true density ρ in a range of 1.7 g/cc to 2.1 g/cc, and the weight ratio of the positive-electrode active material per unit area contained in the positive electrode to the negative-electrode active material per unit area contained in the negative electrode is in a range of 1.3 to 1.7.

技術翻訳としての特許翻訳 第5回

第5回 原文の技術的誤りの対処

 微粒子に関する特許は、染料、磁性粉、二次電池、トナー、樹脂やゴム組成物、電子部品など、ありとあらゆる分野で出願されている。これらの特許の中では微粒子の大きさやその分布を規定したものが多く見られる。

<例1>   前記蛍光体の平均粒径が0.5~6.0mmの範囲であり、中央粒径が2.0~10.0mmの範囲であることを特徴とする請求項1に記載の希土類燐バナジン酸塩蛍光体。

 これはある特許の1従属クレームであるが、これ自体の翻訳は難しくない。

【訳例】The rare earth vanadate phosphor of claim 1, having an average particle diameter in a range of 0.5 to 6.0 μm and a median particle diameter in a range of 2.0 to 10.0 μm.

 厳密に言うと、蛍光体は微粒子なので、発明の主題(subject matter)はparticulate rare earth vanadate phosphorとした方がよいが、例2の文との調和を考えて上記のように訳した。この例のように、構成要素の数値限定が入っている場合、明細書でその測定方法が明記されていないと、その特許は権利行使できない可能性が高い。なぜならば、第3者がその数値を客観的に決めることができないからである。

 この例では、明細書中に次のような記載がある。

<例2>   本発明の希土類燐バナジン酸塩蛍光体は、粒子形状が多面体であって、平均粒径が0.5~6.0mmの範囲であり、中央粒径が2.0~10.0mmの範囲であり、且つ分散度が0.35~0.80の範囲にある。ここで、平均粒径は空気透過法によるフィッシャー・サブ・シーブ・サイザー(F.S.S.S)を用いて測定した値であり、一次粒子の大きさを示す。中央粒径は電気抵抗法のコールターマルチサイザーII(コールター社製)を用いて測定し、50%粒子径(体積基準)を示す。この場合、粒子が強く凝集していると一次粒子にまで分散させることは難しく、凝集した二次粒子が測定にかかる。

【訳例】The inventive rare earth vanadate phosphor consists of polygonal particles having an average particle diameter in a range of 0.5 to 6.0 μm, a median particle diameter in a range of 2.0 to 10.0 μm, and a variance in a range of 0.35 to 0.80. The average particle diameter indicates the size of primary particles and is determined by an air permeability technique with a Fisher Sub Siever Sizer (F.S.S.S). The median particle diameter indicates 50% particle size on the volumetric basis and is determined by electrical resistivity with the Multisizer 3 COULTER COUNTER®. In the case of strong aggregation of primary particles, the aggregated or secondary particles are served for measurement without disintegration of the aggregates into primary particles.

 

 例2の中の「分散度」は粒子径のばらつきの尺度の一つなのでvarianceが使用される。「分散(variance)」の平方根が「標準偏差(standard deviation)」である。統計学の基本を理解していないと適切な用語を見いだせないかもしれないので注意が必要である。標準偏差と分散の定義については、インターネットで簡単に見つけることができる。

 この特許では、平均粒径と中央粒径は定義されているので問題ないが、翻訳者はこの2つの違いを理解しておく必要がある。

 一般に集合体としての粒子の大きさは、多数個の粒子の大きさを測定して、その分布で表すのが一般的である(粒度分布という)。粒度分布は頻度で表す場合と累積として表す場合がある。

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 しかし、粒度分布を常にこのようなグラフで表すのは不便なために、次のような指標がよく使用される。  

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      ●   モード径:出現比率が最大の粒子径。または分布の極大値。

    ●   メジアン径(d50):粉体をある粒子径から2つに分けたとき、大きい側と小さい側が等量となる

      径のこと。この他に、d10、d90などもよく使われる。

    ●   算術平均径:粒子径分布の算術平均径。

 平均径には算術平均径以外にも右に示すようなものがあるので、特許ではどの平均径を使用しているのかを正しく理解する必要がある。

<例3>   「平均粒径D50」は以下の方法で測定した。即ち、イオン交換水により固形分5%に希釈したバインダー樹脂を、室温で30分間、500rpmの条件で攪拌後、粒度分布計(日機装(株)社製「マイクロトラックUPA150」)にて3回測定した粒度分布におけるD50(50%の粒子がこの粒子径以下の大きさであることを示す)の平均値を、平均粒径D50とした。

【訳例】The “averaged median diameter D50” was determined as follows: a dispersion of 5% binder resin particles in deionized water was agitated at 500 rpm at room temperature for 30 minutes, the particle diameter was measured three times with an ultrafine particle analyzer Mirotrac UPA 150 (NIKKISO), and the three median diameters D50 were averaged where D50 indicates that 50% particles have diameters less than the median diameter.

 例3における「平均粒径D50」は3回の平均値を意味するので、正確には「メジアン径D50の平均値」と書くべきところである。

<例4>   前記無機充填材粒子の平均粒径D50が0.1~100μmであることを特徴とする請求項1~3のいずれか一項に記載の方法。

 例4の明細書には「平均粒径D50」の定義も測定法も書かれていない。従って、鋭い審査官ならそれを理由に拒絶するところだが、仮に特許になっても権利行使できるか微妙である。というのも、上に説明したとおり、D50はメジアン径であって平均粒径ではないからである。このような場合の訳例Aを示す。

【訳例A】(パリ条約に基づく出願):The method of claim 1, wherein the inorganic filler particles have a median diameter D50 in a range of 0.1 to 100 μm.

パリ条約に基づく外国出願の場合の翻訳では、日本語の不備は可能な限り是正して翻訳するのがよい。もちろん、「平均粒径D50」を「メジアン径D50」と読みとった旨のコメント(依頼主宛)を記す必要がある。

【訳例B】(PCT出願の翻訳):The method of claim 1, wherein the inorganic filler particles have an average diameter D50 in a range of 0.1 to 100 μm.

PCT出願の翻訳文は原語の意味範囲を超えない翻訳が求められる。仮に「平均粒径D50」が誤りとしても、その通りに訳しておいて、後に補正書でこの部分を正しい表現に改める方が無難である。このような翻訳の場合でも技術的におかしいところはコメントした方がよい。

 

【教訓】

①    特許翻訳は技術翻訳のひとつ

②    粒子径に関する翻訳は、粒度分布とその専門用語の定義を正しく理解してから翻訳にかかる

      ③    定義がおかしいときは、必ず依頼主にコメントする

 

技術翻訳としての特許翻訳 第4回

第4回 日英翻訳における技術のポイント

 日本語は数の概念がないか、あるとしても曖昧な場合が多い。日英翻訳にあたって最初に留意すべき点は数の把握とそれに関連して冠詞を決めることである。この部分は日本語の文字からは浮かび上がってこないので、翻訳者が文脈で読み取る必要がある。明細書を丁寧に読めば数を把握できる場合は問題が起こらないが、技術的な常識がないと数を決めることができない場合があるので注意しなければならない。

 

<例1>   該スイッチング素子を共振周波数の近傍の周波数で交互にオン、オフして制御することによって、トランスの一次側コイルに正弦波状の電流を流す。そして、トランスの二次側コイルに誘起された電流をダイオードにより整流しコンデンサで平滑して出力するもので、高効率・低ノイズのスイッチング電源装置として知られている。

【ある訳例】The switching elements are alternately activated or inactivated in the vicinity of a resonance frequency such that sine-wave current flows to the primary coil of the transformer. The current induced in a secondary coil of the transformer is rectified with a diode and is smoothed with a capacitor to be output. The switching power supply device having such configurations can achieve high power efficiency and low noise.

 一見、完璧に見える翻訳だが、この翻訳者はこの分野に関する技術常識を持っていないことが明らかである。まず、「共振周波数の近傍」を字句通りにin the vicinity of a resonance frequencyとしていることである。「近傍」は「近く」の漢語表現だが、あくまでも「近傍」は「近く」であって、その箇所あるいは部分を含まない。共鳴は、通常共振周波数で行うのだからここは「共振周波数の近傍」はむしろ「共振周波数で」としなければならない。誤差を含んでその前後の周波数を含むのであれば「共振周波数あるいはその近くの周波数で」と書かなければならない。このように、日本語明細書における「近傍」はしばしばその位置あるいは時間を含んでいることを頭に入れておかなければならない。

 共振回路にもいろいろあるが、下図に示すのはコイルとコンデンサを直列に接続した「直列共振回路」である。右図の共振周波数と電流の回路が示すとおり、電流値が最も高い共振周波数f0を使用するのが筋だから、単にin the vicinityでは駄目でatとすべきところである。ただし、共振周波数の前後でも電流は減少するが流れるので回路の安定性などを考慮して「近傍」も含めておくのが、法律文書としての役割を果たす明細書翻訳では重要なことである。

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 第2の問題は、ダイオードをa diodeと単数にしていることである。一個の整流ダイオード(下図)を使用する整流は「半波整流」という。半波整流では、入力した交流電流の半分しか利用できないので、非効率的である。全波整流のためには整流器は少なくとも2つ必要であるが、現在では整流ダイオード4つをブリッジに接続した全波整流回路が使用されている。従って、例1のダイオードは複数でなければならない。単数にしても致命的ではないが、技術常識の欠如をさらけ出すので好ましくない。

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半波整流回路(http://www.miyazaki-gijutsu.com/series4/densi0421.html)

 

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http://www.eonet.ne.jp/~hidarite/me2/img/heikatukairo02.gif

 

【改訂訳例】The switching elements are alternately turned on and off at or near the resonance frequency such that sinusoidal current flows in the primary coil of the transformer. The current induced in a secondary coil of the transformer is rectified with diodes and is smoothed with one or more capacitors before output. The switching power supply having such a configuration can output having high power efficiency with low noise.

 上に掲げた全波整流回路の図では平滑回路として1個のキャパシタが使用されているが、改訂訳例でキャパシタの数をone or more capacitorsとしたのは、平滑回路のキャパシタは1個とは限らないからである。2番目の文をThe current induced in a secondary coil of the transformer is rectified and smoothed with a rectifying circuit and a smoothing circuit for output.とするとdiodeとcapacitorの数を隠すことができる。日本語を逐一訳すのではなく、技術的に意味等価な範囲で言い換える技術を習得すれば、表現の幅が広がる。

 

 以上述べたように、自分の知らない技術用語が出てきたら、辞書で訳語を調べる前に、日本語でその技術的な意味を正確に知る習慣をつけることが重要である。現在はほとんどの技術をインターネットで確認することができる。この例のように、整流について調べたい場合はGoogleで「整流」あるいは「整流器」で画像検索し、わかりやすい図面を収載しているウェブページにアクセスして、整流の原理を正しく理解すればよい。

 

【教訓】

①    特許翻訳は技術翻訳のひとつ

②    表現におぼれる前に技術を正しく理解する

③    技術が理解できたら、英文構築を行う

     ④    英文チェックは技術的意味が他人に理解できるように訳されているかで行う

技術翻訳としての特許翻訳 第3回

第3回 化学特許翻訳における化合物の名称

化学特許の翻訳で留意すべき点のひとつは化合物の名称である。日英・英日翻訳どちらにおいても、化合物名の翻訳に際しては化学的な知識、特にその構造に関する知識が欠かせない。

化合物の命名法はInternational Union of Pure and Applied Chemistry(IUPAC)に定められている。これ以外にもAmerican Chemical SocietyがChemical Abstracts(CAS)誌で使用するCASレジストリーに登録するための命名基準が存在する。両者は共通する部分もあるが、異なっている部分もある。これ以外にも慣用名などや略称などもあり、1つの化合物が数個の名称を持つことも珍しくない。このような状況において、明細書中の正しい化合物名の表記は非常に重要である。

IUPACに定められている命名法は英語表記が基準となっている。化合物の日本語表記の基準は、「化合物命名法―IUPAC勧告に準拠―」(日本化学会命名法専門委員会編、東京化学同人刊)に記されている。これは化学系翻訳者にとって必須の書である。ウェブページでは、化合物命名法談義(http://nomenclator.la.coocan.jp/)が、非常に利用価値が高い。

化合物の日本語表記は大きく分けて、英語の綴りを「ローマ字」読みしたいわゆる「字訳」と、日本語独自の名称に翻訳した「翻訳名」の2つがある。圧倒的に多いのが字訳で、翻訳名は一部の化合物に限られている。従って、翻訳者は「字訳」の基準と、「翻訳名」が適用される範囲を正しく理解しなければならない。有機化合物の翻訳名の代表はカルボン酸とそのエステルである。これらについては、日英・英日いずれの翻訳においても注意が必要である。

カルボン酸の日本語表記は翻訳名であるが、酢酸(acetic acid)のように純粋な翻訳名とプロピオン酸(propionic acid)のように字訳と翻訳名が入り交じったものがあり、後者の方が圧倒的に多い。カルボン酸の英語表記では、語尾が必ず“~ic acid”となるが、これを日本語では“-酸”と翻訳する。その際に、icの部分をnに読み替える。例えば、ステアリン酸はstearic acidの字訳である。

カルボン酸の中性塩の英語名は陽イオンの後に陰イオン名を置き、酸からプロトンが失われてできる陰イオン名は酸の接尾語-ic acidを-ate(アート)に変えて作ることになっている。先ほどのacetic acidの塩は、例えばsodium acetateとなる。日本語では酸名の後に陽イオン名を並べて命名する。従って、sodium acetateは「酢酸ナトリウム」となる。このように、塩の命名法では、①英語は酸の部分の語尾が変化するが、日本語は変化しない、②英語と日本語は陽イオンと陰イオン名の記述が逆転している、ことに留意しなければならない。

カルボン酸とアルコールの反応生成物をエステルと呼ぶ。エステルの英語名は中性塩と同様の方法で命名する。すなわち、アルキル基またはアリール基の名称を陽イオンの代わりに置く。例えばethanol(エタノール)とacetic acid(酢酸)の反応生成物をethyl acetateと称する。厄介なのはここからである。エステルの名称を日本語で書くときは次の(ア)、(イ)のいずれかに従うことになっている。

(ア)  先に酸名を、次にアルキル基などの名称を記す。先ほどのethyl acetateは酢酸エチルとなる。化学会の基準ではこの方法が最も推奨される。

(イ)  英語名をそのまま字訳する。つまりアルキル基などの基名を書き、次に酸から誘導された陰イオン名(アート名)を書く。例えば、ethyl acetateはエチルアセタート(エチルアセテートではない)と書く。この方法の欠点はエチルとアセタートの関係がよく分からなくなることである。このような混乱を避けるために、成分が複合名の場合は、両成分の間につなぎ符号=を入れることになっている。英語にはスペースがあるが、日本語の概念にはスペースはないので、つなぎ符号で代用するという訳である。Ethyl acetateもエチル=アセタートとすればより明確になるが、このように簡単な化合物では、つなぎ符号は使用されない。

 

このような命名法の規則を知っていないと、意図したものとは全く異なる化合物を表していることになるので注意が必要である。以下に、間違った日本語表記の例を示す。

 

<例1>   攪拌機付き20リッターステンレス製オートクレーブに、高純度ジメチルテレフタル酸を1409g、その4倍モル量の1,4-ブタンジオール、チタンブトキサイド2gを仕込みエステル交換しポリブチレンテレフタレート(PBT)を得た。

 

エステル交換反応(transesterification)は次式で表されるとおり、エステルとアルコールを反応させて、それぞれの主鎖部分を入れ替える反応である。

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従って、「ポリブチレンテレフタレート」(ポリブチレンテレフタラートが化学会推奨の呼称)を製造するには「1,4-ブタンジオール」と「テレフタル酸ジメチル(下記式A)」を反応させなければならない。しかし例1の「ジメチルテレフタル酸」は下記式(B)に示すとおり酸であってエステルではない。

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 この事例では、「ジメチルテレフタル酸」(dimethylterephthalic acid)を「テレフタル酸ジメチル」(翻訳名)または「ジメチル=テレフタラート」(字訳)に読み替えて翻訳しなければならない。対応する英語はdimethyl terephthalateである。

 

【例1の訳例】A 20-liter stainless steel autoclave equipped with an agitator was loaded with high-purity dimethyl terephthalate (1409 g), 1,4-butandiol (four times the molar amount), and titanium butoxide (2 g) to form polybutylene terephthalate (PBT) through transesterification.

 

なお、例1における「チタンブトキサイド」は英語読みであり、化学会推奨の呼称は「チタンブトキシド」である。

 

英日翻訳におけるエステルの日本語表記について述べる。

 

<例2>   (rac)-4-(3-amino-1-(isoquinolin-6-ylamino)-1-oxopropan-2-yl)benzyl 2,4-dimethylbenzoate dimesylate

 

この化合物は2つの酸が関与したエステルであり、翻訳名は2,4‐ジメチル安息香酸ジメシル酸(rac)‐4‐(3‐アミノ‐1‐(イソキノリン‐6‐イルアミノ)‐1‐オキソプロパン‐2‐イル)ベンジルエステルとなる。最後のエステルは必須ではない。ちなみに、字訳は(rac)‐4‐(3‐アミノ‐1‐(イソキノリン‐6‐イルアミノ)‐1‐オキソプロパン‐2‐イル)ベンジル=2,4‐ジメチルベンゾアート=ジメシラートと、2カ所につなぎ符号=を入れる。つなぎ符号がないとエステルの構造が容易には理解できなくなる。

 

次例は、この応用例である。

 

<例3>   To a refluxing methanolic solution of substituted or unsubstituted sodium benzylthiolate prepared from 460 mg (0.02g atom) of (i) sodium, (ii) substituted or unsubstituted benzyl mercaptan (0.02 mol) and (iii) 80 ml of absolute methanol, is added freshly distilled substituted or unsubstituted phenylacetylene.

 

【公開された誤訳】46 mg(0.02グラム原子(g atom))の(i)ナトリウム、(ii)置換された若しくは置換されていないベンジルメルカプタン(0.02 mol)及び(iii)80 mlの無水メタノールから調製された、置換された若しくは置換されていないベンジルチオール酸ナトリウムの環流メタノール溶液に、新たに蒸留された置換された若しくは置換されていないフェニルアセチレンを加える。

上記の訳では、化合物名が誤訳である。Sodium benzylthiolateの化学式は下記の通りで、R1からR5までがすべて水素の場合は非置換であり、それらの内の1つでも水素以外の元素に置き換わっている場合は置換となる。化学的な知識を持っていて、名称から構造を想起できる人なら、この化合物はチオールの水素がナトリウムに置き換わったもの、すなわち、チオラート化合物であることが容易に理解できる。言い換えれば、アルコラートの酸素がイオウに置き換わったものである。アルコラートは酸の塩には属さないのでチオラートも酸の塩には属さない。sodium benzylthiolateの日本化学会推奨の日本語表記は「ナトリウム=ベンジルチオラート」である。ナトリウムと反応する前のbenzylthiol(ベンジルチオール)の構造を合わせて示す。

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IUPAC命名法に基づく、日本化学会の命名法に従うと、アルコール(R-OH)からHを除いた基(R-O-)を「アルコラート(alcolate)」と呼ぶ。例3のsodium benzylthiolateはそのまま字訳で「ナトリウム=ベンジルチオラート」と呼ぶことになっている。=記号は英語のスペースに相当するが、=がなくても誤解のない場合は省略することができるので、「ナトリウムベンジルチオラート」でもよい。なお、alcolateは英語読みをすると「アルコレート」、またthiolateは英語読みにすると「チオレート」だが、化学会の推奨命名法は基本的にローマ字読みに従っている。

以上述べたとおり、化学名の翻訳は命名法の基準に則り正しく表記しなければならない。日本語明細書、英語明細書でよくある間違いはisopropanol(イソプロパノール)である。IUPAC命名法ではisopropaneという名称は認められていないので、その誘導体のisopropanolも認められていない。一方で、isopropyl alcohol(イソプロピルアルコール)という慣用名が存在していたために、isopropanolという誤用が広まってしまった。IUPACの正式名称は、かつては2-propanol(2-プロパノール)だったのだが、その後改正されて現在ではpropan-2-ol(プロパン-2-オール)という。このように化合物名の翻訳には系統的な知識と経験が必要である。

 

【教訓】

①    化合物名の命名法は専門書やインターネットで正しい知識を学習する

②    時には、構造式や反応を正しく理解した上で翻訳に臨む

③    よくある間違いを繰り返さないため、自分でデータを整理しておく

 

技術翻訳としての特許翻訳 第2回

第2回 英日翻訳における技術の理解(2)

今回は電気・機械分野における専門技術を理解していないために起こった誤訳例を述べる。

  1. Typical high performance delta sigma modulators include fourth (4th) order and higher loop filters although filter 104 can be any order.

【公開された誤訳】典型的な高性能デルタシグマ変調器は、4番目(第4)の高ループフィルターを含むが、何番目のフィルター104であってもよい。

この特許は、非線形デルタシグマ変調器でアナログ信号を量子化するシステムに関するものである。この訳のfourth (4th) orderany orderorderは「高次のノイズ」のことであって、「順番」ではない。

この誤訳は、この分野の技術が全く理解できていないことを露呈している。この記述はアナログ信号に含まれている「高次成分の雑音」を除く技術に関するものである。アナログ信号は特定の周波数を持つ波で表されるが、その整数倍の高次の周波数成分を高調波(harmonic wave)と呼んでいる。高調波は音楽や音響工学分野では倍音と呼ばれる。 元々の周波数を基本波、2倍の周波数(2分の1の波長)を持つものを2高調波(second harmonic)、さらに n倍の周波数(n分の1の波長)を持つものをn高調波(n-th harmonic)と呼ぶ。波に関するこれらの最低限の知識がないと、この特許の翻訳はおぼつかない。

なお、音楽では、「一オクターブ上の音」というが、これは基準となる音の倍音のことで、第2高調波に相当する。バイオリンなどの弦楽器では基本となる音とその倍音を一本の弦で同時に出す特殊な奏法があるが、これを「ハーモニック奏法」と呼んでいる。仮に物理の知識があやふやでも、音楽のこの種の知識があればそれを手がかりに高調波について調べることができるはずである。どんな知識でも知っておくと、翻訳には有利に作用する。

今は、Googleの画像検索や動画検索で高調波を視覚的・聴覚的に理解することができる。非技術系翻訳者は技術の理解をおろそかにして訳語の選定にばかり関心を持つ傾向が強いが、ウェブページや電気に関する書籍などから正しい知識を学ぶ習慣を身につけるべきである。そうしないと、今回示したような恥ずかしい誤訳を生み出すことになる。

以下に改訂訳例を挙げる。

【改訂訳例】典型的な高性能デルタシグマ変調器は、4次以上の(高調波)成分を除くループフィルターを含むが、フィルター104の次数はこれらに限定されない。

つまり、”any order”は「何次(以上)であってもよい」という意味である。

この特許翻訳では、以下に示すように、高調波に関する部分が一貫して誤訳になっているが、これらの部分の技術的な意味を理解する努力をすると、逆に最初の文が誤訳であることに気付くはずである。

変調器に関する冒頭の説明は、次のようになっている。

Figure 1 depicts a conventional delta sigma modulator 100 that includes a monotonic quantizer 102 for quantizing a digital input signal x(n), where “x(n)” represents the nth input signal sample.  The delta sigma modulator 100 also includes an exemplary fourth (4tu) order noise shaping loop filter 104 that pushes noise out of the signal band of interest.(公開された誤訳:図1は、デジタル入力信号x(n)を量子化する単調量子化器102を含む従来のデルタシグマ変調器100を示す。ここで「x(n)」はn番目の入力信号サンプルを示す。また前記デルタシグマ変調器100は、雑音を関心の信号帯域外に押し出す典型的な4番目(第4)のノイズシェーピングループフィルター104を含む。)

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【改訂訳例】図1は、デジタル入力信号x(n)を量子化する単調量子化器102を含む従来のデルタシグマ変調器100を示す。ここで「x(n)」はn次の入力信号サンプルを示す。また前記デルタシグマ変調器100は、目的とする信号帯域から雑音を取り除く典型的な4次のノイズシェーピング・ループフィルター104を含む。

ノイズシェーピングはデルタシグマ変調において、ノイズ成分を高い周波数領域(この例では第4高調波領域)まで押しやる操作のことである。こうすることで信号領域のノイズ成分を減らすことができる。

さらに、明細書の図10に関する次のような説明部分も間違っている。

Figure 10 depicts a lookahead, jointly non-linear delta sigma modulator 1000 that includes an Nth order noise shaping filter 1004, such as filter 104 and a quantizer 1001 implementd by a jointly non-linear function generator 1002. (公開された誤訳:図10は、フィルター104などのN番目のノイズシェーピングフィルター1004、および合同非線形関数発生器1002によって実装される量子化器1001を含むルックアヘッド合同非線形デルタシグマ変調器1000を示す。)(紙面の都合で図10は掲載省略)

この英文中のjointly nonlinearも、訳文の「合同」も意味がわかりにくいが、明細書中にjointly nonlinearの定義があるので当業者には理解できるのかもしれない。訳は「N番目」が間違っているほか、「ルックアヘッド」が安易である。

【改訂訳例】図10は、フィルター104などのN次のノイズシェーピング・フィルター1004、および合同非線形関数発生器1002に実装される量子化器1001を含む先読み合同非線形デルタシグマ変調器1000を示す。

次の部分とそれに関連する特許請求の範囲の訳も技術的に全く意味が通じない。

The jointly non-liner delta sigma modulator includes a noise shaping filter to process a signal and generate N state, variables, wherein N is greater than or equal to two.(公開された誤訳:前記合同非線形デルタシグマ変調器はノイズシェーピングフィルターを含み、信号を処理して状態変数を生成する。ここで、は2より大きいかまたは等しい。)

【改訂訳例】前記合同非線形デルタシグマ変調器はノイズシェーピング・フィルターを含み、信号を処理してN個の状態変数を生成する。ここで、は2以上である

Claim 6. The signal processing system as in claim 5, wherein the subset of the integrators consists of the Nth integrator through the N-xth integrators, wherein 2 ≤ X ≤ N-1.(公開された誤訳:【請求項6】前記積分器のサブセットがN番目の積分器から(N-x)番目の積分器で構成され、ここで、2≦x≦N-1である、請求項5に記載の信号処理システム。)

【改訂訳例】【請求項6】前記積分器のサブセットがN次の積分器から(N-x)次の積分器(2≦x≦N-1)で構成される、請求項5に記載の信号処理システム。

確かに、この特許は数式も多く、専門家以外には理解が困難な内容である。完全ではなくとも技術の基本的なことはきちんと理解して翻訳するという姿勢で臨まないと、専門家が読んで納得できる翻訳文には仕上がらない。

【教訓】

① 専門外の分野の翻訳の前に、基本になる技術を正しく理解すること

② Google、特にGoogle画像検索で技術の理解を高める

③ 技術的意味が通じない部分は調べ直すことが必要

④ 安易なカタカナ語を避ける

 

違いが分かる技術用語・特許用語(10)

      16   reflectanceとreflectivity, transmittanceとtransmissivity, absorbanceとabsorptivity 

これらは光などの電磁波の性質を述べる用語である。本論に入る前に、reflection(反射)、transmission(透過)、吸収(absorption)の関係について説明する。

 反射は、2つの媒体の境界で光や電波などの波動が当たって跳ね返る(表面反射)、あるいはある媒体内で跳ね返る(体積反射)現象のことである。透過は、媒体を光や電波が通り抜ける現象のことである。吸収は媒体中で光や電波が吸収されて熱エネルギーに変化する現象のことである。

 入射光に対する反射光の比率を表す語に反射率(reflectance)と反射能(reflectivity)がある。reflectivityは2つの媒体の境界での光の反射率を意味し、reflectanceは2つの特定の媒体の内部反射や内部散乱などの効果を加味した光の反射率を意味する。

 次の図は、空気からガラスを通って空気へ抜ける光の反射率を模式的に示している。

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 この図で、空気からガラスに入る光のreflectivity(反射能)は0.074である。従って、ガラスを透過する光の透過能(transmissivity)は1.0-0.074 = 0.926となる。ガラスを透過した光の一部は後面で内部反射されて上に向かう。この光の一部は外に出るが、一部は上の境界で内部反射されて下に向かう。このような内部反射が何度も繰り返されて内部反射光は減衰する。上の境界で内部反射光を全部合わせた値が反射率(reflectance)となる。従って、reflectanceはreflectivityより大きな数値を取る。一方の透過光に視点を変えると、透過能(transmissivity)は0.926だが、実際には内部反射で上面から上に逃げる光を差し引いた値がtransmittance(透過率)となる。当然のことだが、transmittanceはtransmissivityよりも小さくなる。不透明材料の場合は、光の透過は起こらないと考えられるので、reflectanceとreflectivityは実質的に同じとなる。

 こうしてみると、実際にはreflectanceとtransmittanceが実際の測定値を反映していると考えられる。

 では、実際の用例でこれらの語がどのように使用されているかを検証する。

用例1.     An electronically dimmable optical device, including, in sequence, an active absorbing polarizer; a first static reflective polarizer; an active polarization rotator; and a second static reflective polarizer; configured so that the reflectivity and/or transmissivity of the device can be controlled (increased or decreased) by application of a voltage across the active absorbing polarizer and/or the active polarization rotator. (USP 9,304,333)

公開公報の訳:順番に能動吸収偏光子12と、第1の静的反射偏光子14と、能動偏極回転子と、第2の静的反射偏光子18と、を含む電子的調光可能光学装置であって、同装置の反射率及び/又は透過率が能動吸収偏光子及び/又は能動偏極回転子の両端に電圧を印加することにより制御(増加又は低減)されるように構成された電子的調光可能光学装置。(特開2018-32042)

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 英語のreflectivityとtransmissivityがそれぞれ「反射率」と「透過率」と訳されている。

用例2.     The article of one or more embodiments exhibits superior optical performance in terms of light transmittance and/or light reflectance. In one or more embodiments, the article exhibits an average light transmittance (measured on the anti-reflective surface only) of about 92% or greater (e.g., about 98% or greater) over an optical wavelength regime (e.g., in the range from about 400 nm to about 800 nm or from about 450 nm to about 650 nm). In some embodiments, the article exhibits an average light reflectance (measured at the anti-reflective surface only) of about 2% or less (e.g., about 1% or less) over the optical wavelength regime. (WO2016/018490)

公表公報の訳:1つ以上の実施形態の物品は、光透過率および/または光反射率に関して優れた光学的特性を示す。1つ以上の実施形態において、物品は、光学波長領域(例えば、約400nm~約800nm、または約450nm~約650nmの範囲)で、約92%以上(例えば、約98%以上)の(反射防止表面のみで測定される)平均光透過率を示す。実施形態によっては、物品は、光学波長領域で、約2%以下(例えば、約1%以下)の(反射防止表面のみで測定される)平均光反射率を示す。(特表2017-519232改)

 測定値ということでreflectanceとtransmittanceが使用されている。

用例3.     The relative energies of the output pulses can be controlled by choosing the transmission and reflection coefficients of the beam splitters. (WO2015/195877)

公表公報の訳:出力パルスの相対エネルギーは、ビームスプリッタの透過率および反射率を選択することによって制御できる。(特表2017-525144)

 ここでは、transmittanceの代わりに、transmission coefficient(透過係数)が、reflectanceの代わりにreflection coefficient(反射係数)が使用されている。訳はどちらも「率」となっている。

用例4.     Adjacent microlayers also have a refractive index mismatch Δnz that provides the film with reduced reflectivity R1 and increased transmission for p-polarized light in the extended wavelength band incident on the film in a first plane of incidence at an angle θ oblique, where R1 is no more than half of the minimum of on-axis reflectivity. (WO2010/059566)

公表公報の訳:隣接するマイクロ層はまた、斜角θの第1入射面においてフィルムに入射する拡張された波長帯域にて、p偏光に関して、低減した反射率R1及び増加した透過率をフィルムに提供する、屈折率不整合Δnzを有し、R1は軸上反射率の最小値の半分以下である。(特表2012-509509)

 用例1と同じく、reflectivityとtransmissivityがそれぞれ「反射率」と「透過率」と訳されている。

 次に、日本語明細書の英訳例を示す。

【課題1】フィルム幅方向中央部から5cm×5cmのサイズでサンプルを切り出した。次いで、分光光度計((株)日立製作所製、U-4100  Spectrophotometer)を用いて、入射角度Φ=0度における透過率及び反射率を測定した。

訳例:A sample of 5 cm square was cut off from the center along the width of the film.  The transmittance and reflectance at an incident angle Φ = 0 degree of the sample were determined with a photospectrometer U-4100 made by Hitachi, Ltd.

【課題2】光源から測定光をハーフミラーに照射した場合、理想的にはハーフミラーの表面からの入射された光に対しても、ハーフミラーの裏から入射された光に対しても、反射率および透過率は同じであることが望ましい。しかしながら図6に示すように、実際にはハーフミラーはわずかな厚みを有しており、表面が蒸着層となっていることが多い。そうすると、ハーフミラーの表面から入射された光に対する反射率(または透過率)と裏面から入射された光に対する反射率(または透過率)は、わずかに異なる可能性がある。そして絶対反射率測定を正確に測定する場合は、このハーフミラーの表面、裏面に対する誤差(表面と裏面の特性の違い)も考慮する必要がある。

訳例:It is preferred that the incident light on the front face of the half mirror and the incident light on the back face of the half mirror have the same reflectance and transmittance ideally in the case that the half mirror is irradiated with light from the light source.  However, the half mirror actually has a slight thickness as shown in Fig. 6 and is provided with a deposited surface layer; hence, the incident light on the front face and the incident light on the back face will have slightly different reflectance or transmittance.  Accordingly, the absolute reflectance should be measured in view of such a difference between the front and back surfaces of the half mirror.

 

 次に、absorbanceまたはabsorbencyは、ある物体を光が通った際に強度が弱まる度合いを示す無次元量のことで、「吸光度」と呼ばれる。吸光度は透過率(transmittance)の逆数の常用対数値で表現される。詳しく説明すると、波長ラムダにおける吸光度Aλ

  Aλ = - log(I/I0

で表される。つまり、入射光強度I0と透過光強度Iの比(透過率)の常用対数をとり、吸収のある場合を正とするために負号を付けたものである。透過率が光路長に対し指数関数的に減衰するのに対し、吸光度は対数で表されているため光路長に比例して減少する。

 なお、absorptivityは、辞書では「吸光率」、「吸光係数」、「吸収率」、「吸収能」、「吸収度」、「吸収係数」、「吸光」、「吸収性」など多くの訳語が登録されているすが、「吸収能」がもっとも一般的な用語と考えられる。

用例5.     Upon addition of the H2O2, the absorbance increased rapidly at all wavelengths and then decreased rapidly.

訳例:過酸化水素を添加すると全波長で吸光度は急速に増加し、次いで急速に減少した。

【課題3】450nmおよび550nmにおける吸光度を測定し、これらの吸光度の差を求めた。

訳例:The absorbances at 450 nm and 550 nm were measured and the difference between them was calculated.

 

まとめ

  1. 反射能(reflectivity)は2つの物体の境界における光の反射率を表し、反射率(reflectance)はreflectivityに内部及び裏面での反射による寄与を加えた値を表す。従って、一般には、reflectanceの方がreflectivityより大きい。
  2. 透過能(transmissivity)は1からreflectivityを引いたものである。入射光のすべてが裏面から出射するわけではないので、透過率(transmittance)は透過能(transmissivity)よりは小さい。
  3. 明細書ではreflectance (transmittance)とreflectivity (transmissivity)のどちらを指しているのか明確でないことがある。

 

違いが分かる技術用語・特許用語(9)

14   吸収(absorption)、吸着(adsorption)、収着(sorption)

 吸収(absorption, 動詞はabsorb)は、物質(吸収質:absorbate)がある相から別の相(吸収媒あるいは吸収剤:absorbent)に移動する現象を意味します。語幹のabは「~から」、語尾のsorbは「吸い込む」の意味を持っています。吸収は物理吸収(physical absorption)と化学吸収(chemical absorption)に分類されます。スポンジが水を吸収するのは物理吸収で、塩化カルシウムや五酸化リンが空気中の水分を吸収するのは化学吸収です。「光の吸収」のように、物以外でも使用されます。

 

用例1.      It is apparent from FIG. 8 that as the absorbance for the band at 316 nm decreases, a new absorption appears at 516 nm which increases in intensity for approximately 100 s, but then it decreases back to its starting value. (USP 6,136,223)

訳例:図8から明らかなように、316nm帯の吸光度が減少するにつれて、516nmに新たな吸収が現れ、約100秒間強度が増加するが、また最初の値に戻る。

 

用例2.      The device will also bypass the proximal small intestine or the roux limb of the intestine in order to produce intestinal mal absorption, bilio-pancreatic diversion or both. (WO2017/52694)

訳例:この装置はまた、腸の吸収不良、胆膵バイパス、またはこの両方を達成するため、近位側の小腸または腸のルー脚を迂回する。

 

 吸着(adsorption, 動詞はadsorb)は2つの物体の界面で、濃度が周囲よりも増加する現象のことを意味します。具体的には、気相/液相、液相/液相、気相/固相、液相/固相の各界面で起こります。吸着される物を吸着質(adsorbate)、吸着する媒体を吸着剤又は吸着媒(adsorbent)と呼びます。adsorbはad(~の方へ)とabsorbが合わさってできた語です。要するにabsorbとの区別のために作られた語と考えて差し支えありません。吸着も物理吸着(physisorption)と化学吸着(chemisorption)に分類されます。前者では吸着時に吸着質と吸着媒の間に電子の授受がないのに対し、後者では電子の授受があります。

 冷蔵庫の脱臭剤などに使用される活性炭は、活性炭表面における分子間引力(Van der Waals力)による物理吸着の他に、被吸着物によっては、化学的な結合力による化学吸着作用を持つ場合があります。

 

用例3.      US 7,208,651 discloses flushing away from the adsorbent chamber the contents of a transfer line which previously has been used to remove the raffinate stream with one or both of a feed mixture and a material withdrawn from the adsorption zone.

訳例:米国特許第7,208,651号には、供給混合物と吸着区域から回収された物質の一方又は両方を含む抽残液流を除去するために前の段階で使用した移送ラインに液を勢いよく流して内容物を吸着剤室から洗い流すことが開示されている。

 

 固体/気体界面や固体/液体界面に気体分子や溶質が吸着されるとき、固体内部への吸着質の吸収を伴うことがあります。吸着と吸収が同時に起きる現象を収着(sorption)といいます。英英辞典には"take up a liquid or a gas either by adsorption or by absorption"と定義があります。例えば、活性炭やシリカゲルの多孔性固体の細孔内には吸着質が収着されて気相中や溶液内に比べてその濃度が大きくなります。収着という用語に対応して、収着媒(sorbent)、収着物あるいは収着質(sorbate)という用語が使われます。

 なお、吸収、吸着、あるいは収着された物質がそれぞれの媒体から抜け出す作用を脱着(desorption)と呼びます。

 

用例4.      The rotating sorption bed (1) is contained within a plurality of manifolds (8, 9) and the sorption bed (1) and the manifolds (8, 9) are sealed to one another via sealing means (10). (WO1988/006913)

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訳例:回転式収着床(1)は複数のマニフォールド(8,9)内に収容されており、収着床(1)とマニフォールド(8,9)は封止手段(10)二よりお互いに封止されている。

 

 なお、sorption isotherm(等温収着曲線)という語がありますが、実際にはadsorption isotherm(等温吸着曲線)であることがよくあります。

 

15    関連する語:吸蔵(occlusion)、インターカレーション(intercalation)

 吸蔵(occlusion)は気体や液体が固体内部に取り込まれる現象を意味する語です。例えば、パラジウムは体積で数百倍の水素を吸蔵することができます。パラジウム以外にも多くの水素吸蔵合金が知られています。吸収や吸着と異なり、吸蔵の場合は、金属あるいは合金元素と水素との間で固溶体と呼ばれる結晶構造が形成されるのが特徴です。又、マグネシウムと水素は水素化マグネシウムという化合物を作ります。この場合は化学吸蔵と呼ばれます。水素吸蔵合金はニッケル・水素蓄電池、水素自動車の燃料タンクなどに応用されています。

 

用例5.      Upon engine ignition, effectuates hydrogen flow from the high pressure alloy exchanger with rapid heating of the low pressure alloy in the low pressure metal hydride heat exchanger due to hydrogen occlusion. (WO1994/003710)

訳例:エンジン点火のとき、水素吸蔵による低圧合金の急速加熱によって、高圧合金交換器から低圧合金交換器への水素の流入を行なう。(特表平08-500875)

 

 医学、生化学の分野では、occlusionは「閉塞」の意味で使用されます。

 

用例6.      The success of interventions used to prevent or alleviate these conditions, such as thrombolysis and angioplasty are also compromised by platelet-mediated occlusion or re-occlusion. (WO2011/067571)

訳例:これらの症状を予防又は軽減するのに用いられる血栓崩壊及び血管形成術のような介入の成功もまた、血小板による閉塞又は再閉塞によって損なわれる。

 

 インターカレーションは2つの層間に原子あるいは分子が挿入される現象のことです。特に、リチウムイオン二次電池では放電時にanodeの2つのグラファイト層間にリチウムイオンが挿入(intercalete)されることをいいます。充電時には、逆にグラファイト層間からリチウムイオンが脱離(deintercalate)されます。

 

用例7.      The battery further comprises an electrolyte capable of supporting reversible deposition and stripping of aluminum at the anode, and reversible intercalation and deintercalation of aluminum or lithium at the cathode. (WO/2012/044678)

訳例:電池は、陽極におけるアルミニウムの可逆的な堆積・脱離ならびに陰極におけるアルミニウム又はリチウムのインターカレーション及びデインターカレーションを支援する電解質をさらに含む。

 

 次の例のように、日本語明細書では、この現象をいろいろな呼び方をしています。

 

翻訳事例1  セラミックス焼結体からなる正極板は、充放電に伴うLiイオンの脱挿入に伴い寸法変化する。

訳例:A positive electrode plate made of a ceramic sinter undergoes a variation in dimension by the intercalation and deintercalation of lithium ions accompanied by charge and discharge.

違いが分かる技術用語・特許用語(8)

      13  カスケード(cascade)とカスコード(cascode) 

これらの紛らわしい2つの語は電気回路を記述する用語です。

 カスケード(cascade)は滝あるいは、急峻な岩場にある多段の滝を意味する語が転じて、電気分野では、例えば、複数のアンプを直列に接続した一般的な回路構成のことを指します。

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 カスコード(cascode)はcascade connection(直列接続)とtriode(三極管)を組み合わせたいわゆるかばん語で、直列配置された2つのトランジスタのうちのQ1がエミッタ接地、Q2がベース接地となっていて、かつQ1の出力(コレクタ)にQ2の入力(エミッタ)が接続された回路のことをカスコード回路と呼びます。

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 例えば、特開2016-127496には、「第1トランジスタ23のエミッタが第1入力端子21に接続され、第1トランジスタ23のコレクタと第2トランジスタ24のコレクタが接続されることにより、第1トランジスタ23及び第2トランジスタ24はカスケード接続される」、さらに、「第4トランジスタ41及び第5トランジスタ42のそれぞれはnpnトランジスタであり、第4トランジスタ41はエミッタ接地され、第5トランジスタ42はベース接地されることによりカスコード接続される。」との記載があります。

 

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 これら2つの語は非常に紛らわしいのでよく誤用されています。例えば、次例のように、特に、「カスコード」とすべきところが「カスケード」となっている誤用が多くあります。

  1. The drain of the cascode transistor 516 and the drain of the cascade transistor 526 are each coupled to a first side of a transformer 540. The drain of the cascode transistor 526 and the drain of the cascode transistor 528 are each coupled to a first side of a transformer 544. (WO2015/148893)[カスコードトランジスタ516のドレイン及びカスケードトランジスタ526のドレインは各々、変圧器540の第1の側に結合される。カスコードトランジスタ526のドレイン及びカスコードトランジスタ528のドレインは各々、変圧器544の第1の側に結合される。(特表2017-510202)]

 

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 文脈および図面からも明らかなように、"cascade transistor"は"cascode transistor"の誤りです。PCT出願の翻訳文ということで、公表公報でもこの誤りは是正されていません。

 日英翻訳でも同じような間違いが見いだされます。翻訳者として細心の注意を払う必要があります。

 cascadeという語は、「次から次に起こる」という意味でも、よく使用されます。例えば、化学分野では「カスケード反応(cascade reaction)」という語があります。これは、一度の操作によって3つ以上の反応が連続して起こる反応様式のことです。最初に述べた、小滝の水が階段状に連なって流れ落ちる情景になぞらえた表現です。この連続反応はタンデム反応あるいはドミノ反応(domino reaction)とも呼ばれます。

 血液の凝固もカスケード反応と言われています。凝固カスケード(coagulation cascade)という用語があります。インターネットで画像検索すると、凝固カスケードの図解が数多くヒットします。興味のある方は是非ご覧ください。

 機械分野では、cascadeは翼列と呼ばれることがあります。これは、同じ翼を等間隔で、かつ同一の姿勢で直線的または円上に配列したものを意味する語です。

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特開2015-071968

 

違いが分かる技術用語・特許用語(7)

       12 resilient, elastic, flexible 

resilient (resilience), elastic (elasticity), flexible (flexibility)は物体が損傷を起こすことなく歪みに耐えうることを意味する形容詞(名詞)です。

 resilientは変形力あるいは圧力を除いたときに速やかに元の形状に回復する能力を意味する形容詞です(名詞:resilienceまたはresiliency、副詞:resiliently)。対応する日本語は「回復力のある」、「反発性のある」、「弾力的な」などです。例えば、a resilient innersoleは「反発性の靴の中敷き」のことです。

用例1.In the embodiment shown, the body 19 includes a protrusive resilient flap 22, which extends between the vanes 21 and is repeatedly struck by the vanes 21 as the ball 20 rotates. (2013/093469)[図示の実施態様では、本体19は突き出た弾性片22を備える。弾性片22は羽根板21の間にあり、球20が回転すると羽根板21に繰り返し叩かれる。(特表2015-502172)]

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 elasticは引っ張ったときの変形に抵抗する性質、すなわち元に戻る性質を意味する形容詞です(名詞:elasticity、副詞:elastically)。対応する日本語は「伸び縮みする」、「伸縮する」、「弾力性のある」などです。resilientは「回復力」に主眼が置かれているのに対し、elasticは力による伸縮に主眼が置かれています。例えば、an elastic waistbandは「伸縮性ウェストバンド」のことです。

用例2.Movement of the movable member 72 is transmitted via the elastic supports 74 and causes vibration of the component 69. (WO2013/093469)[可動部材72の動きは弾性支持部74を介して伝達され、要素69を振動させる。(特表2015-502172)]

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 elasticの反対語はinelastic(弾力性のない)です。また、elasticと対比してよく使用される語はplastic可塑性)で、名詞形はplasticityです。

 高分子化学の分野ではelastomerplasticがよく使用されます。elastomerは「弾性体」すなわち「ゴム」のことで、伸びたり縮んだりします。また、elastomer 製品は一般に高いresilienceを持っています。

 これに対して、plasticは「プラスチック」あるいは「樹脂」などと呼ばれていますが、その性状は複雑です。例えばplastic sheetは後で述べるflexible(柔軟な)なものもあれば、rigid(剛直な)なものさらには変形に対してfragile(壊れやすい)ものまで、多岐に渡っています。

 resiliencyelasticは境界領域が明確でないことが多くあります。そのために、英文ではこれらがor接続で使用されることがあります。

用例3.A measuring apparatus for measuring a semiconductor wafer, or a coating or a film on it, includes a conductive wafer chuck 4 and a probe 6 having a probe body 12 defining an internal cavity 14 in fluid communication with a conductive membrane 16 having elasticity or resilience. [半導体ウエハ、またはウエハ上のコーティングや膜を測定する測定装置であって、導電性ウエハチャック4と、弾性のまたは復元力のある導電膜16と流体接続した内部キャビティ14を画成するプローブ本体12を有するプローブ6とを含む。(特開2005-045216改)]

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 flexibleは破損なしに曲げるか折りたたむことができるがresilientでもelasticでもないものを意味する形容詞です(名詞:flexibility、副詞flexibly)。flexible plastic tubingは「可撓性プラスチック管」のことです。同義語にfloppyがあります。

 余談ですが、今や死語同然の「フロッピーディスク」は日本では商標登録されているため、特に特許請求の範囲でこの語を不用意に使用すると「公序良俗違反」という拒絶理由が発せられました。そのため、日英翻訳でfloppy diskとすると外国でも拒絶されるという都市伝説が生まれましたが、floppy diskしなやかなディスク)は一般名詞なので外国では商標登録されないはずなので、使用に問題ないのですが、それでも心配という方にはflexible diskを使用するように指導していました。つまり、同義語の言い換え技術を応用すればよいのです。ちなみに、diskette(ディスケット)も同じ物を指します。

用例4.The present invention relates to a pump (10) comprising a shaft (15) supported for rotation by a bearing (38) carried by a bearing carrier (48), said bearing carrier having a generally outer radial portion (52) which is fixed relative to a pump housing (12) and a generally inner radial portion (54) which is fixed relative to the bearing, wherein the carrier is stiff in a radial direction between said inner and outer portions and flexible in an axial direction for restraining radial movement of the bearing and allowing axial movement. (WO2012/004579)[本発明は、ベアリング担持体(48)により担持されるベアリング(38)によって回転支持される軸(15)を備えたポンプ(10)に関し、該ベアリング担持体が、ポンプハウジング(12)に対して固定される全体的に半径方向外側部分(52)と、ベアリングに対して固定される全体的に半径方向内側部分(54)とを有し、該ベアリング担持体が、該ベアリングの半径方向の移動を抑制し、軸方向の移動を可能とするために、該半径方向内側部分と半径方向外側部分との間で、半径方向に対しては剛直で、かつ軸方向に対しては柔軟である。(特表2013-531763改)]

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 この例に出てくるstiffrigidとともにflexibleの反意語で、「曲げにくい」あるいは「剛直な」という意味を持っています。名詞形はそれぞれstiffnessrigidityです。

 これらと類似の他の語にsupplespringyがあります。

 suppleは破損の兆しなしに簡単に曲げ、ねじり、または折りたたみ可能なものに使用する形容詞です。対応する日本語は「柔軟な」、「しなやかな」、「曲げやすい」などですが、力を除いても必ずしももとには戻らない点がflexibleと異なります。例えば、supple leatherは「しなやかな革」という意味です。

 springyはばねを表す名詞springから派生した形容詞で、圧力によるたわみやすさと元の形状への回復しやすさの両方を強調する語です。対応する日本語は「ばねのような」、「弾力(性)のある」などです。例えば、the cake is done when the top is springyは「上部に腰があればケーキはほどよく焼けている」という意味です。

 

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